2009年 08月 03日
ミラノ
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ミラノのドゥオーモ前にて。この大聖堂ドゥオーモは1386年にジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの意向により着工し、約500年の時を経てナポレオンの命により完成。世界最大級のゴシック建築として知られているそうです。
とても立派な建築でした。白色が眩しかった。
世界各地、日本にも言える事ですが宗教心が駆り立てるエネルギーはもの凄く巨大です。
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ドゥオーモ横にはヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。1865年から1877年の間に建設されたガラスのアーチのアーケードです。いろんなお店が密集していて多くの人が行き来し賑わっていた。
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ドゥオーモからアーケードを抜け歩いてポルディ・ペッツォーリ美術館へ。ミラノの貴族の邸宅を美術館にしていて、階段などが特に当時の暮らしを醸し出していました。
ピエロ・デル・ポライウォーロ(1443〜1496)「若い貴婦人の肖像」(1470年頃/45.5 X 32.7 cm)はとても良かった。日本サイズだと8Pくらい。
とってもさっぱりしていて好きな作品。
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こちらはボッティチェリ(1445〜1510)の「書物の聖母」(1480年/58X 39.6 cm)、日本サイズで約10P。
実際見るとかなり暗くて印象は全然違っていた。きっと変色してしまったんだろうなぁと想像。デフォルメされた輪郭線が浮世絵にもちょっと似ている様な気もしました、不思議と。

# by unokazu | 2009-08-03 03:09 | art
2009年 08月 01日
ミラノ
今日は支持体作りに励みました。しばらく作っていなかったので、久々な作業です。
では、イタリア日記の続きを。
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スフォルツァ城から歩いてサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。教会の前はちょっとした広場になっていて、観光に訪れたアジア系の人たちが何人か居た。人はそれほど多くはなかった。
入館がほぼ予約制になっているとのことで、予約者くらいしかその場に居なかったのかもしれない。教会の敷地はそれほど広くもなく、現代の住居に浸食されながらポツンと残った教会といった印象。閑散としながらも、しかしながらここには強力な文化遺産、レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」があるわけです!(館内は撮影不可なので画像はネットの拾い物)
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展示部屋に入った瞬間…「うわ!!デカイ!」と衝撃。そしてフォルムの柔らかさと色彩のリズムにまた感動!だいぶ思っていた印象と違っていた。

1495年から98年頃に制作された作品。
卵と油を混ぜた折衷型の技法により制作された為、痛みが相当激しい。レオナルドが存命中に顔料の剥落があったそうです。痛みが激しいので当時の実際はよく分からないが、現時点で見ると肌の陰と衣服の陰の描写の違いに目が行きました。顔などにはしっかりと濃い陰が付けられているが、衣服は色面の様にも見えた。顔に当たっている光の強さからすると衣服の陰はある意味不自然で同一光源では無い様な印象も受けた。しかしながら逆にその状態が心地よい。暖色、寒色のリズムが心地よく並べられていて、画面の中で僕の目が自然と遊泳している様でもありました。
さらには背景のシャープなコントラスト。緩急の造形がとても心地よかった。

普段制作していて思うのですが、同一光源にもたらされる光と陰の法則をそのまま絵に転写するように描くと、意外と「光から陰」「陰から光」といった様な単純な視線誘導になってしまい、平面上の視線の流れが安易になってしまう様な印象を僕自身感じていたりします。
造形の強弱やリズムの力で、作品自体の世界観を操ってより自分の感覚に近づけようと、常々感じていたりもするところです。

レオナルドのこの作品は、イエスが「あなたがたの中に私を裏切る者がいる」と告げた瞬間のシーン。手の動きや顔の表情、衣服の色彩の選択、室内のデザインや全体構成。1枚で魅せる作家の能力は計り知れない…凄かった…。この絵は、その他様々な要素を含む謎に満ちた魅惑的な作品ですが、その話しはまたの機会にでも。


続く。

# by unokazu | 2009-08-01 22:36 | art
2009年 07月 31日
イタリアへ ミラノから
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美術研修の為、取り扱い画廊の画商Uさんと2人で1週間ほどイタリアへ行ってきました。
日本から約12時間のフライトでミラノへ。空港からバスで移動し、ミラノ中央駅下車。
何だかとても立派な駅です。吹き抜けの天井はものすごく高い。
イタリアは日本の北海道と同じ緯度だそうですが、とても暑かった。30度は越えていたようです。
初日は夕刻の到着でしたので、ホテルに入り翌日の打ち合わせをしたくらいで早々に就寝。
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翌日、電車で移動しスフォルツァ城へ。
ミラノのルネッサンス期最大の宮殿で、かつての領主、ヴィスコンティ家の城跡にフランチェスコ・スフォルツァにより1450年に城塞都市として建てられたもの。
とても広大な印象を受けました。
城内展示オープン前に現場に着いたので、広場をゆっくり見て歩いた。犬の散歩をしているおじさんなども居たり、市民の公園として機能しているようでもありました。
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城内は、彫刻、陶器、楽器、衣装、コインなどなど、さまざまなジャンルの展示が続く広大な博物館になっています。しばらく部屋を歩いて行くと、「アッセの間」へ辿り着く。1498年頃、ダヴィンチ46歳の時に手がけたフレスコによる植物文様天井装飾。ダヴィンチと工房による仕事だったそうです。見た目は痛みが激しいものの、植物で埋め尽くされた天井は圧巻でした。当時の奇麗な状態であればどんな感覚を味わえただろうか…と思わずにはいられなかったです。
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最後の部屋には、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」。死の数日前まで手を入れていたというミケランジェロの遺作。制作途中で構図を大胆に変更している状態でこの作品は終わってしまっているのだが、その様子を見る事が出来たのも刺激だった。
「ピエタ」という言葉は「敬虔(けいけん)な同情」という意味のイタリア語で、イエスの亡骸を聖母マリアが抱きかかえるシーンがモチーフとなっているとこのこと。

滞在初日午前中ではあったが、人間力と美術力、人間とは…、もの凄く見せつけられた感じはしました。ひたすら凄いです。


しばらくイタリア日記を続けたいと思います。続く…。

# by unokazu | 2009-07-31 16:38 | art


    


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